アラフィフになって考える100年ライフ

「ものづくり」を通したライフ・シフトを実践するため,スキルと健康を高めていくブログ

エスペラントの勉強は単なる外国語学習ではない?

部屋を片付けていたら,写真のようなパンフレットが出てきた.

エスペラントを学びませんか?という日本エスペラント協会のリーフレットだ.

随分前にどこから入手したのか覚えていないが・・・

f:id:ambras:20211122201928j:plain

エスペラントといえば,

  • 文法規則に例外がなく単純な構造
  • 特定の国の話者が有利になることのない中立的な言語

などというキャッチフレーズをよく目にする.世界中のエスペラント話者と知り合うことができれば,さぞかし視野が広まるのだろうなぁと思ったこともあった.

もう随分前になるが,当時はエスペラントに非常に興味があって,学んでみようかと本気で思ったことがある.それで,改めてエスペラント関連のページをいろいろ調べてみると・・・

やはり!

私が当時なぜエスペラントの世界に入り込まなかったのか?その理由がそこにあった.

 

エスペラントの学習は単なる外国語学習にあらず

私が居住している地域にもエスペラント協会というのがある.そこのページでは,ある特定の国に対する批判が書かれていた.さらに,

 

公用語」として国家語を押し付けない

 

このことが重要であるとの指摘だ.おそらく,米国とその言語である英語を仮想敵として想定しているような書き方だ.そこにエスペラントの存在意義と学ぶことの意義を見出しているように見受けられる.

だけど・・・

正直,私はこういう主張にうんざりする.誤解があるのかもしれないが,エスペラントはコミュニケーションのための言葉,それも特定言語の話者だけが有利に働かない中立的な言葉として人工的に考え出されたものであって,それ以上でもそれ以下でもない.

そこに特定の国家への批判とか人権だとか,「世界はかくあるべき」という余計な思想が付属物として入り込むことに違和感を感じたのである.

 

エスペラントを学ぶことは,単なる語学学習とは異なる側面があるのではないか?そのような疑問を抱いてしまった.

 

究極的にはエスペラントをメジャーバージョンアップすべき?

そもそも,「どの国の人にも中立な言語」と主張しているが,それは半分間違っている.

エスペラントはローマ字を採用しているし,文法だってSVO型で助詞もない(日本語や韓国語はSOV型で助詞がある).

エスペラントの単語もラテン語を起源とするものが多い.

だから,結局欧米人にとって都合のいい言語でしかない.学びやすい言語と言っても,日本人にとって,英語やドイツ語に比べればマシという程度だろう.

エスペラントの発明者であるザメンホフだってポーランド人.西洋諸国にしか目を向けていない当時の世界観に基づいていたのだから,彼が作ったエスペラントが欧州にとっての中立的な言語なのも当然だ.今の時代にそぐわないのは仕方ない.

 

だから,中立な言語というのであれば,究極的にはエスペラントアジア人やアフリカ人にとっても中立な言語となるためにメジャーバージョンアップをするべきだ(一部,そのようなことを言ってる人もいるらしいが)

中立語の必要性を本当に説くのであれば,特定国家の批判云々ではなく,自分たちの言語を刷新するという別の方向で活動すべきだと思うのだが.

f:id:ambras:20211122202636p:plain

単なる語学愛好者の集まりではない

通常,特定の国家言語を学んだからといって,その国の思想の影響を受けるわけではない.中国語やロシア語愛好者の市民団体や講習会があるけど,そこに参加したからといって,共産主義の肯定や資本主義への批判などに触れるわけではない.あくまで「語学」の勉強なのだから.

だけど,エスペラントの場合,単にその言語の愛好者の集まりではないように思えてならない.

少なくとも私はエスペラントを言語としか考えていないし,それに基づく文化や交流には興味があっても,そこから生まれる「世界はかくあるべき」という思想は一切ゴメンだ.

どこか私が躊躇ってしまう理由がそこにある.おそらく同じ考えの人も多いのではないか?